福岡地方裁判所 平成7年(ワ)36号 判決 2000年2月24日
原告 A野太郎
右訴訟代理人弁護士 小宮和彦
同 辻本育子
同 山崎吉男
被告 社会福祉法人恩賜財団済生会
右代表者理事 宮川全孝
右訴訟代理人弁護士 柴田憲保
主文
一 被告は、原告に対し、金五二五四万円及びこれに対する平成三年八月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一億三五四九万九八〇〇円及びこれに対する平成三年八月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が被告に対し、交通事故による骨折等の治療のために被告の設置する病院に入院し、手術・治療を受けたところ、右病院の医師等による抗生剤やボルタレン坐薬等の薬剤の投与の量・方法等についての義務違反、転医義務違反等があり、両眼の視力低下等の後遺症を負ったとして、債務不履行責任又は使用者責任を追求した事案である。
一 争いのない事実等
以下の事実は、当事者間に争いがないか、又は《証拠省略》により容易に認めることができる。
1 当事者
(一) 被告は、熊本市《番地省略》において、「済生会熊本病院」(以下「被告病院」という。)を開設、経営するものである。
(二) 原告(昭和四五年一月四日生)は、交通事故による骨折、血気胸の治療のため平成三年七月一四日から同年八月一四日まで、被告病院に入院して診療を受け、その後熊本大学医学部附属病院(以下「熊大病院」という。)に転院し、同病院皮膚科(以下「熊大皮膚科」という。)及び眼科(以下「熊大眼科」という。)等において診療を受けた者である。
2 被告病院整形外科入院中の臨床経過
(一)(1) 原告は、平成三年七月一四日、自動二輪車を運転中交通事故に遭い、右鎖骨骨折、右肩甲骨頸部骨折、左第三・四肋骨骨折、右腸骨剥離骨折及び血気胸の傷害を負い、右傷害の治療のため被告病院整形外科に搬送され入院した。入院時、体温三七・八度、末梢血白血球増多(一万九九〇〇)、血清はK二・七五と低下し、血糖二四九、GOT二九九、GPT二四〇、LDH一二八八、CPK一五七八といずれも上昇した。
(2) 被告病院整形外科においては木村真医師(以下「木村医師」という。)が原告の担当となり、木村医師は、原告に対し、血気胸については、入院当日である同月一四日から右腋下にチューブを挿入しての吸引による治療を開始し、鎖骨骨折については、骨折部を固定した上で平成三年七月二三日に全身麻酔のもとに骨接合・骨移植手術を実施した。
(3) 術後、原告は、微熱や頭痛はあったが、患部の経過は順調で、右の各種検査値も順調に正常値となり、同月二五日にはチューブが抜去され、自由歩行が可能となった。もっとも、同月二六日の血清検査でのCRPは五・四と上昇し、歩行時に右手術の際の採骨部にまだ痛みがあったが、安静時の痛みはなくなった。原告は同年八月六日には退院できる予定となっていた。
(4) 同月一日、原告には、手術後の創部疼痛がなかったにもかかわらず、午後七時に三七・八度の発熱があったが、体熱感はなく、それ以外に異常はなかった。原告は、氷枕の使用を促されたがこれを拒否した。
(5) 原告は、同月二日午前一〇時胸部症状はなかったが、そのころから三七度台の発熱があった。午後八時ころ頭痛はなかったが、眼球が充血し、午後一一時ころ眼脂が出て、異物感があったので、木村医師が生理食塩水で原告の眼を洗浄したところ、痒みは軽減した。
(6) 同月三日午前六時三七・六度の発熱があり、眼球結膜充血・眼瞼周囲掻痒感・眼脂が顕著で、開眼困難となり、木村医師の勧めで午前九時に外出して出田眼科を受診したところ、流行性結膜炎との診断がなされ、タリビット点眼薬とピトス点眼薬が処方され、午前一〇時に帰院した。そのころ三八・五度の発熱や両手掌・両足底の発赤を伴う膿庖が出現し、原告は、目が痛くて開かない旨訴えたが、創部痛はなかった。原告は、午後零時三〇分に買い物のために売店へ出かけた。木村医師は、感染症を疑い、他の患者への感染予防のために午後四時原告を個室へ移した。午後四時三〇分ころ三八・八度の発熱があり、末梢血白血球九一〇〇、赤血球三四三万、血小板三六万二〇〇〇であり、症状として咽頭痛や扁桃腫脹等の上気道炎症状が加わった。午後七時三〇分ころ食欲はあり、夕食は全量摂取した。午後九時三〇分悪寒が生じた。
(7) 同月四日午前零時三〇分三九・八度の発熱があり、その後も一日中悪寒と三八ないし四〇度台の発熱が続き、眼や手掌・足底の症状に加え、口唇・口腔内のアフタが著明となり、咽頭痛も強く、朝食から経口摂取困難であった。午後七時ころから咳や喀痰排出が著明となり、呼吸促進や喘鳴が出現し、聴診では著明な肺雑音があり、午後九時三八・四度の高熱で著明な倦怠感を訴え、午後九時三〇分ころ傾眠傾向となったが、呼びかけに対し少し楽になったとの応答があった。
(8) 同月五日未明から三九ないし四〇度台の高熱が持続し、呼吸状態や意識レベルも前日と変化なく、喀痰の排出や喘鳴も依然としてあり、口腔内・口唇・手掌・足底の発疹も著明で、高熱が続いた。木村医師は、敗血症を疑い、午後一時三〇分被告病院内科病棟へ転科した。同日の検査所見では、CRPは急上昇して一三・七となり、未梢血白血球数一万〇六〇〇、LDH五二六と軽度高いレベルにあったが、血清K四・四二、GOT三二、GPT二三と引き続き正常範囲内にあった。
(二) 被告病院整形外科入院中の主な投与薬剤等は別表1のとおりである。
3 被告病院内科入院中の臨床経過
(一)(1) 被告病院内科においては境健爾医師(以下「境医師」という。)が担当医として治療に当たったが、平成三年八月五日転科時、原告には、高熱、強い全身倦怠感、結膜炎、咽頭炎、口唇炎、掌蹠膿庖症様皮疹、体幹四肢に散在性の小発赤疹、上肢下肢に発赤膿疱、右腸骨付近に水疱があり、結膜炎や眼脂が顕著で開眼不能であり、口腔内・咽頭の炎症も強く、右肺野にてラ音が聴取され、黄色痰を多量に喀出し、IVHによる栄養管理下でPIPC、AMK、ファンギゾンの点滴が開始された。午後六時ころ高熱に対しメチロンが筋肉注射されたが反応がなく、午後九時ころボルタレン坐薬の挿入により解熱したが、その後も高熱・倦怠感を繰り返した。
(2) 同月六日午前四時三〇分ころボルタレン坐薬の挿入により解熱したが、眼・口の症状が続き、CRPは三〇・六となり、末梢血白血球は核左方移動を伴って五四〇〇に低下した。午後零時には再び三九度台の高熱となり、以後もボルタレン坐薬の挿入による解熱としばらくしてからの高熱が繰り返された。また、皮膚がはげ落ちるニコルスキー現象が認められた。
(3) 同月七日も前日と同様の熱型を示し、強い倦怠感や息苦しさ(動作時喘鳴増強)を訴え、全身の膿痂疹様皮疹は増強傾向にあり、陰嚢等で皮膚剥離が顕著になった。また同月五日被告病院整形外科入院中に施行した咽頭培養検査によりMRSAが検出されたため、境医師は、敗血症状態と診断し、MRSAに感受性のある抗生剤でミノマイシンとゲンタシンに変更し、ガンマーガードを併用した。
(4) 同月八日、依然として高熱の倦怠感が強く、眼と口の症状は続き、散在性の水疱を伴う全身の皮膚剥離が進行した。境医師は、血清アミラーゼ高値のため唾液腺炎・膵炎が併発したと考えて、レミナロン投与を開始した。同日の末梢血白血球は八八〇〇であった。
(5) 同月九日、眼・口の症状が持続し、喀痰も多量であり、軽度の肺雑音があり、全身に小水疱・水疱が多発癒合して所々破れてびらんとなり、浸出液が流出し、全身の皮膚がタオルの摩擦により又はテープを剥がす際に容易に剥離しやすく、全身の皮膚剥離が顕著となった。境医師は、ウイルス血症の可能性も考えて抗ヘルペスウイルス剤ゾビラックスの投与を開始した。
(6) 同月一〇日、相変わらずボルタレン坐薬挿入後の弛張熱が続き、全身痛があり、多量の黄色粘稠痰の喀出と口唇からの出血が認められ、さらに耳介や大腿等にも水疱が生じて皮膚剥離が広範となり、二次感染の防止のために消毒薬や抗生剤のスプレー塗布が開始された。
(7) 同月一一日、皮膚の水疱形成や皮膚剥離はさらに進行し、同月一二日、末梢血白血球は一万一三〇〇とさらに上昇し、顔面の膿痂疹様皮疹が急速に悪化したため、国立熊本病院皮膚科前川医師に電話で往診の依頼をしたが、同日及び同月一三日は多忙のため往診できないとのことであった。同月一三日、顔面の膿痂疹は除々に増悪し、境医師は、皮膚症状のポラロイド写真を熊大皮膚科へ持参し相談した。同月一四日、熊大皮膚科への転院が決まり、午後零時、原告は滅菌シーツにくるまれ、境医師と看護婦二名と一緒に救急車で熊大皮膚科病棟へ搬送された。
(二) 被告病院内科入院中の主な投与薬剤は、別表2のとおりである。
4 熊大皮膚科入院中の臨床経過等
(一) 平成三年八月一四日、原告は、熊大皮膚科病棟に転院し、同月一五日、ICUに入室した。
熊大皮膚科において原告の主治医であった廣岡実医師(以下「廣岡医師」という。)が入院時に診断したところ、ほぼ一〇〇パーセントの皮膚の剥離があり、水疱が多数形成されており、表皮は全て壊死状態でニコルスキー現象が生じ、一見正常に見える皮膚が触っただけでずり落ちていくような状態であった。皮膚の表皮がなくなっていたため浸出液が多く、多量に体液が体外に漏れている状態であった。特に顔面は、細菌による感染症を思わせるような痂皮が付着して、一部膿が出ている状態であり、眼瞼については、開眼不能であり、黄色膿性物質が多量に出ていた。口唇、口腔内及び耳介は、びらんで出血しており、全身は、ほぼ一〇〇パーセントの二度の熱傷に近い状態であり、全身状態としては極めて危険な状態であった。
入院時、廣岡医師は、原告の症状につき、大きく分けて、ブドウ球菌を原因とするものと、薬剤、食物等の中毒によるものとの二つを考え、中でも薬剤が原因である可能性が一番高いであろうと考えていた。前医である境医師は、依頼書において、ブドウ球菌性熱傷様皮膚症候群(以下「SSSS」という。)との診断をしていたが、廣岡医師は、中毒性表皮壊死症(以下「TEN」という。)の可能性もあるものと考えていた。
(二) 同月一五日、原告は三七度ないし三八度台の発熱があり、ボルタレン坐薬(一二・五ミリグラム)が挿入された。
(三) 同月一六日、ICUのカンファランスにより、TENを前提に、治療方針としてメチルプレドニゾロンのパルス療法(一日一・五グラム)を三日間(同日から同月一八日まで)施行することとし、感染症に対しては、全域をカバーする強力な抗生剤(アルベカシン二〇〇ミリグラム等)とγ―グロブリン五グラムの投与を開始し、皮膚病変に対しては、イソジン消毒後に両上肢にベスキチンを貼付し、その他の部位にはリバゾルベースを貼付した。
(四) 同月一七日、同月一五日に実施した左鎖骨上部の皮膚生検組織の検査結果が判明し、これによれば、表皮剥脱のため、表皮の所見はないが、真皮表層の小血管周囲性の浮腫と軽度の単核球浸潤、汗腺上皮の壊死を思わせる像があり、TENの疑いと診断された。
(五) 同月一八日、メチルプレドニゾロンの投与により、浸出液は著明に減少し、皮膚の処置については、ほぼ全身にベスキチンを貼付することとした。
同月一九日、薬浴を開始し、メチルブレドニゾロンの投与量は、一日三〇ミリグラムと激減した。
(六) 同月二三日、同月二一日実施の右大腿皮膚生検組織の検査結果が判明し、右組織は、広範な好酸性壊死等から組織学的にみてもTENと診断すべき状態であった。
同月二八日、同月二六日実施の右下腿皮膚生検組織の検査結果が判明し、これによれば表皮形成側から剥離部方向に舌状の表皮延長を認め、TENと診断された。
(七) 同日の薬浴後の包交で皮膚が九〇パーセント上皮化し、感染病変を思わせる部位はなく、ステロイド剤を投与中止したままでも経過良好であり、痛みも我慢できないほどではなくなった。
平成三年九月四日、全身状態の改善により、ICUから皮膚科病棟に転室した。
(八) 同年一〇月一六日、同月七日実施の薬剤添加リンパ球刺激試験(以下「DLST」という。)の結果が判明し、ボルタレン坐薬のみ陽性であり、PL顆粒、トランサミン及びダーゼンは、いずれも陰性であった。同月一一日実施のDLSTの結果が同月二一日判明し、レペタン、ビソルボン、メチロン及びナイキサンは、いずれも陰性であった。同月一五日実施のDLSTの結果が同月二四日判明し、アダラートL、ミニプレス及びレニベースは、いずれも陰性であった。
(九) 同年一一月一日、TENによる角膜障害(角膜上皮欠損症)のため、皮膚科病棟から眼科病棟に転室し、点眼・内服治療により羞明感や充血が軽減し、またリハビリにより歩行器なしで歩行可能となり、残った足の傷もユベラ軟膏塗布のみとなった。
(一〇) 平成四年一月一五日、後遺症として両眼の視力が低下したまま(右眼の視力は手動弁(手の動きが分かる程度)であり、左眼の視力はその後〇・二以下となった。)、熊大眼科病棟を退院した。
右眼の視力は、京都府立医科大学附属病院にて平成七年三月三一日角膜移植手術を受けることにより、一・二ほどに回復したが、平成八年九月ころから緑内障・白内障が発症したため、平成九年四月七日の同病院における人工水晶体を入れる手術により、〇・五程度に回復した。平成一〇年九月には裸眼〇・二、矯正〇・四に低下し、平成一一年八月三一日には右角膜上方より結膜が侵入したため〇・〇八(矯正不可)となった。また人工水晶体挿入のため調節機能障害があり、視野狭窄もあり、遠近調節ができないため、近くを見るときには凸レンズの眼鏡が必要である。角膜移植手術を受けたため、特殊なコンタクトレンズを二週間に一回通院して付け替えなければならない。
左眼視力については、平成一一年八月三一日の時点で〇・〇二(矯正不可)であった。
なお、一日六回程度両眼に点眼薬をさす必要があり、原告の全身の皮膚には瘢痕が残り、足及び手の爪の部分は、硬い爪様のものはなく、軟らかく薄い状態のものとなり、足については、靴を履くと皮膚が擦り切れやすくなり、踏ん張りがきかず、手は物がつかみにくくなり、行動が制限されている状態である。
二 争点
1 原告の症状及びその原因
2 抗生剤投与における義務違反、過失の有無
3 ボルタレン坐薬投与における義務違反、過失の有無
4 併診、相談等についての義務違反、過失の有無
5 衛生管理における義務違反、過失の有無
6 右各義務違反、各過失と原告の損害との間の因果関係の有無
7 原告の損害
三 原告の主張
1 過失について
(一) 抗生剤投与の継続について
(1) 医師が患者に抗生剤を投与するに当たっては、原則的に、感染症に罹患した患者のみに対し、必要な培養を行って判明した原因菌に特異的に効果のある抗生剤のみを投与すべき注意義務があり、例外的に手術時の予防的投与が許されるが、その場合でも術前一時間から開始し、遅くとも術後四八時間以内には投与を中止すべき注意義務がある。
(2) 平成三年八月一日の発熱までは、原告には感染症を疑うような徴候は現われておらず、同年七月一四日から同年八月五日までの間の木村医師の行った抗生剤投与は、予防的に漫然となされたものであり、予防的投与の許される術前一時間から術後四八時間(同年七月二三日から同月二五日まで)を除いた期間における投与は不必要な投与であって、抗生剤投与に当たっての注意義務に違反した過失がある。
(3) 同年八月一日以降の原告の発熱等の症状は、感染症ではなく、抗生剤投与の副作用であった蓋然性が高く、木村医師は、まず抗生剤投与の副作用を疑ってその投与を中止すべきであったのであり、同日以降も同じ抗生剤の投与を継続したことにつき重大な過失がある。
(4) 仮に木村医師が感染症を疑って抗生剤を投与したとしても、この間に感染の確認及び原因菌の特定をするための培養等は一切行われておらず、抗生剤を漫然と投与していたに過ぎず、抗生剤投与に当たっての注意義務に違反した過失がある。
(5) 被告病院においては、当時院内感染対策委員会を組織し、MRSA感染防止マニュアル案を作成し、MRSA感染防止に取り組んでおり、木村医師は、抗生剤の濫用的投与がMRSAの発生をもたらしていること、及びMRSAの予防対策としては抗生剤の濫用を慎まなければならないことを十分認識していた。
にもかかわらず、右のように不必要な抗生剤の投与を長期にわたって漫然と行ったことにつき重大な過失がある。
(二) ボルタレン坐薬の投与継続について
(1) 医師が発疹を適切に診断し治療するためには、正確な発疹の観察把握と皮膚病理組織学的検討が不可欠であるため、皮膚科学に精通していない限りは皮膚科専門医に併診(相談)すべき注意義務がある。
(2) ボルタレン坐薬には、添付文書にも記載があるように、スティーブンス・ジョンソン症候群(皮膚粘膜眼症候群、以下「SJS」という。)、TEN等の皮膚疾患を呈する副作用があるため、同薬投与中は、患者の観察を十分に行い、患者の皮膚状態に異常が認められた場合、特にSJS、TENが疑われるような症状を呈した場合には、即座に同薬の投与を中止し、皮膚科専門医に併診(相談)して適切な処置を行うべきである。
(3) 平成三年八月三日及び同月四日の原告の症状にかんがみれば、木村医師は、同日又は同月五日までには薬疹等を疑って、その原因である可能性の高いボルタレン坐薬等の解熱鎮痛剤や抗生剤の投与を直ちに中止するとともに、著明な皮膚疾患に対する正確な診断と治療を施すために少なくとも皮膚科専門医に併診(相談)すべきであった。
しかるに木村医師は、同月三日及び同月四日には、別表1のとおり、ボルタレン坐薬及びコスモシンの投与を継続した上、皮膚科専門医に相談もしなかったものであり、過失がある。
なお、木村医師は、原告の両手掌・足底の膿疱形成につき、正確な診断ができず、皮膚科学に関する知識に乏しく、素人的対応しかできなかったのであり、皮膚科専門医に相談もしなかった過失は重大である。
(4) 被告病院内科への転科後の原告の症状にかんがみれば、境医師は、遅くとも同月八日までには薬疹を疑って、薬疹の原因である可能性の高いボルタレン坐薬等の解熱剤や抗生剤の投与を直ちに中止するとともに、著明な皮膚疾患に対する正確な診断と治療を施すために少なくとも皮膚科専門医に併診(相談)すべきであった。
しかるに境医師は、別表2のとおり抗生剤の種類は変えたものの、ボルタレン坐薬の大量の投与を継続し、皮膚科専門医に相談をしなかった過失がある。
境医師は、内科的な集中治療により症状が安定した後に併診・転院の措置をとったものではなく、皮膚症状が悪化する一方であったため、手に負えなくなり転院措置をとったにすぎない。
(三) 院内感染の過失
原告が平成三年八月三日ころに発熱等の症状を呈するようになったのは、感染症を原因とするものであるが、原告は、閉鎖性の骨折で入院したものであるから、感染症は、被告病院における衛生管理の不十分さによる院内感染であり、木村医師、境医師を含む被告病院の関係者(以下「被告病院関係者」という。)が十分な衛生管理をしていたならば、原告が発熱等の症状を呈することもなく、解熱剤の投与を必要とすることもなかった。したがって、被告病院関係者には、衛生管理の不十分さから原告に感染症を罹患させた過失がある。
2 因果関係について
(一) コスモシン、パンスポリンTの投与及びその継続の過失がなければ、原告はSJS、TENを発症しなかったのであり、木村医師及び境医師のコスモシン、パンスポリンTの投与及びその継続の過失と原告のSJS、TENの発症との間には相当因果関係がある。
(二) 木村医師及び境医師がボルタレン坐薬の投与を継続していなければ、原告はTENを発症していなかった蓋然性が高く、また早期に皮膚科専門医へ併診(相談)していれば、薬疹又はSJSが診断されてボルタレン坐薬投与が中止されるとともに、ステロイド剤の全身投与等の適切な治療がなされ、TENを発症しなかった蓋然性が高い。したがって、木村医師及び境医師がボルタレン坐薬の投与を継続し、皮膚科専門医へ併診(相談)しなかった過失と原告のTEN発症との間には相当因果関係がある。
(三) TENの予後は、早期に皮膚科専門医における適切な治療がなされていれば眼の後遺症を残すことなく軽快するか又は軽度の後遺症に止まる蓋然性が高く、木村医師及び境医師が、遅くとも平成三年八月八日までにボルタレン坐薬の投与を中止し、皮膚科専門医に併診(相談)して適切な処置を行う義務を怠らなければ、原告に後遺症が生じなかった蓋然性が高い。
3 責任根拠について
(一) 不法行為責任
被告は、被告病院関係者の使用者であるから、民法七一五条の使用者責任として、被告病院関係者の過失により原告が被った損害を賠償すべき責任がある。
(二) 債務不履行責任
原告が平成三年七月一四日に被告病院に入院した時点で、原告と被告との間で、被告が原告に対し適切な診療を行う旨の診療契約が締結された。しかるに、被告の履行補助者である被告病院関係者は不完全な履行をなし、原告に重篤な後遺障害を発生せしめた。
したがって、被告は、診療契約に基づく債務不履行責任により原告が被った損害を賠償すべき責任がある。
原告は、被告に対し平成六年八月一〇日右損害賠償を請求したが、被告はこれに応じなかった。
4 損害について
(一) 逸失利益 一億三五三三万七六〇一円
(二) 治療費 二九四万〇四二六円
(三) 慰謝料 二五〇〇万円
前記後遺障害に対する慰謝料及び入通院に対する慰謝料として
(四) 弁護士費用 一六三二万円
合計一億七九五九万八〇二七円(本件はその一部請求)
四 被告の主張
1 SJS及びTEの原因について
臨床経過からみて、ボルタレンや被告病院内科で使用したその他の薬剤がSJSやTENの原因薬剤とは考えがたい。TENの原因としては、平成三年八月二日に発症したSJSの原因と同一のものであると考えるべきである。
2 過失について
(一) 抗生剤の投与について
(1) 平成三年七月一四日から同月二〇日までの間は、入院時に排液チューブを挿入したため、感染症併発の可能性があったことから、ドイルを点滴投与したものであり、同月二一日から同月三一日までの間は、右理由に加え、同月二三日の骨接合手術後感染予防の目的でコスモシンを投与し、同年八月二日には、右の目的でパンスポリンTを投与した。
右のような必要性に基づき抗生剤を投与したのであって、漫然と投与を継続したのではない。
なお、骨接合手術後の原告の臨床経過は順調であり、感染を疑わせる所見はなかったため、培養検査は施行しなかったものである。
(2) 平成三年当時は、術後感染予防目的での抗生物質投与法には確たる指針はなく、個々の症例や施設により判断が異なっていたものであり、術前から血気胸を合併し、感染症併発の可能性を有していた原告に対する術後感染予防としての抗生物質投与は適切であり、木村医師に過失はない。
(二) ボルタレン坐薬投与について
(1) ボルタレン坐薬投与前の平成三年八月一日には、SJS等を思わせる皮膚症状が出現しており、同薬が原因薬剤とは考え難い上、同薬の使用が原告の解熱や苦痛の軽減のために有効であったことから使用を継続したものであり、漫然と投与したのではなく、臨床経過からみて、ボルタレンの投与量及び期間に問題はなかったので、木村医師及び境医師に過失はない。
(2) 同月五日にはすでに原告の全身広範囲に非常に強い炎症が起こっており、高熱が持続している状態であり、何らかの薬剤で炎症を抑えないと生命に関わる危険な状態であった。敗血症を合併している可能性も高く、免疫抑制作用の強いステロイドホルモン剤は敗血症を増悪させる危険があったため、非ステロイド系消炎鎮痛剤であるボルタレンを使用した。
(三) 併診、転院について
(1) 平成三年八月三日から同月五日までの原告の症状等にかんがみれば、木村医師が皮膚科専門医よりもむしろ全身的治療、管理の目的で内科併診を優先すべきと判断したことは正当であるから、木村医師がまず眼科を受診させ、その後内科へ転科させた措置に過失はない。
(2) 境医師は、皮膚科専門医への併診、転院の必要性は認識したものの、TENの知識や経験がなかったことから、同医師にTENを疑うよう要求することは不可能であり、同医師が原告の全身状態から敗血症を疑い、まず内科的に集中治療を行って、その症状が安定した後に併診、転院の措置をとったことは適切であった。
(3) 同月五日の時点ですでに全身に非常に強い炎症が起こっており、被告病院においては、炎症を抑え、合併している感染症を治療しながら十分な全身管理ができていた。
(4) 併診を含む転院措置をとるべき時期(期間)については、第一義的には担当医の裁量を尊重すべきである。また、TENに対する治療方法が確立されていない当時の医療水準に照らせば、転医すべき適切な時期の設定は困難であるか又はかなりの長期間が転医すべき適切な時期であったというべきである。
(四) 院内感染について
当時被告病院では、B型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス、MRSA感染症等に対し、院内感染対策委員会を設置し、他患者への感染を防止するマニュアルを作成し、実行していたため、衛生管理の不備はない。
3 因果関係について
(一) 平成三年八月一日から出現した発熱の原因が感染症によるものであるか否かは不明である。同月三日手、口、眼に炎症が出現したが、感染症が原因で起こった炎症であるのか、炎症の病変に二次的に感染が発生したものか明確ではない。感染症が原因であることがはっきりしない以上、衛生管理の不十分さと右症状との因果関係は認められない。
(二) TENが発症した場合には、適切な時期に転医義務を尽くしていたとしても、後遺症は避けることができないため、転医時期を失したとしても、医師の義務不履行(過失)と患者の後遺症との間には相当因果関係はない。
したがって、原告の転医が平成三年八月八日又は同月九日ころに実施されていたとしても、その後の熊大病院における治療については、本件の場合と大差はなく、原告の予後も本件の場合と変わらなかったはずである。
第三当裁判所の判断
一 原告の症状について
1 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) TENは、粘膜疹を伴って広範な皮膚の紅斑、水疱、剥脱、びらんをきたす表皮の壊死性障害を特徴とした中毒疹で、最重症型の多型滲出性紅斑(以下「EM」という。)と考えられる。
SJSは、皮膚粘膜移行部を中心に粘膜疹が必発する表皮や粘膜上皮の壊死性障害を特徴とした中毒疹で、重症型のEMに位置付けられ、多型滲出性紅斑症候群とか皮膚口内炎とか粘膜皮膚眼症候群(MCOS)とかいわれている。
右の中毒疹の異同や分類に関して定説はないが、最近、表皮障害性の発疹が体表面積に占める比率により、一〇パーセント未満の場合をSJSとし、一〇ないし三〇パーセントの場合をSJSとTENの重複、三〇パーセント以上の場合をTENとする考え方が報告されている。
(二) TENについては、発症期の症状から次のように分類できる。
(1) 電撃型 経過が余りに急速なため、発症期の中毒性紅斑の時期がほとんどなく、最初からTENとして発症したかのように見える場合
(2) SJSからの重複移行型 SJSとして発症し、TENとなる場合
(3) 固定薬疹から多発巨大型 固定薬疹として発症し、その経過中に多発巨大化しTENとなる場合
(4) その他 EM又は紅皮症や斑状丘疹状紅斑として発症してTENとなる場合
2 原告に平成三年八月二日以降生じた症状(以下「本件症状」という。)につき検討するに、前記争いのない事実等及び《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件症状の初期症状及び後遺症として両眼の視力低下を来したことから、本件症状は、平成三年八月二日午後八時ころSJSとして始まったものと考えられる。もっとも、原告は、同月三日出田眼科で流行性結膜炎と診断され、その後に両手掌、両足底に発赤を伴う膿疱が出現しているが、一般的に両手掌、両足底に見られる発熱や発赤を伴う多発性の膿疱からは掌蹠膿疱症が疑われるため、同月三日ころの症状がSJSの特徴的な皮疹とは認められないし、口唇、口腔内のアフタもSJSに特徴的な所見ということはできない。
同月五日転科時には、高熱、強い全身倦怠感、結膜炎、咽頭炎、口唇炎、掌蹠膿疱症様皮疹、体幹四肢に散在性の小発赤疹、上肢下肢に発赤膿疱、右腸骨付近に水疱があり、敗血症とともにSJSの診断を考慮すべき症状が認められた。
(二) TENの移行時期については、ニコルスキー現象が認められた後であり、全身の膿痂疹様皮疹が増強傾向にあり、経静脈栄養の刺入部や陰嚢等で皮膚剥離が顕著になり、散在性の水疱を伴って全身の皮膚剥離が進行した同月八日ころにはTENへ移行したものと考えられる。
二 SJS及びTENの原因について
1 前記争いのない事実等及び証拠(鑑定)によれば、次の事実が認められる。
(一) SJS及びTENの原因に関する統計においては、TENの原因としては、薬剤が八〇ないし九〇パーセント前後と大半を占め、感染症が数パーセントであるのに対して、SJSの原因としては、薬剤が五〇ないし六〇パーセントと、TENと比較すると明らかに低いが原因の第一位を占め、感染症は、二〇ないし四〇パーセント前後と、TENと比較すると明らかに多い。
(二) SJSとTENとの間には、臨床症状の面からも重複と移行があり、原因薬剤の種類別頻度や、薬剤の投与開始から症状発現までの潜伏期間別頻度にも類似性があり、両者が発症機序のみならず原因の面でも多くを共有していることが推測される。そのためSJSからTENへの移行例では、薬剤誘導例の場合、同じ原因薬剤を共有すると考えられるが、TENへの移行に際して、さらに別の薬剤が原因として加わっている可能性も否定できない。また、薬剤以外の原因としては、その他の固定薬疹の多発巨大化によりTENとなった場合や最初からTENとして発症した場合に比べると、感染症が関与する比率はより高いと推測される。
(三) 本件症状では、臨床経過に照らして、眼症状を引き起こすようなウイルス感染が、SJS発症の原因としての薬剤との重複を含めて関与している可能性を否定できず、少なくとも掌蹠膿疱症様皮疹をもたらすような細菌感染や右のウイルス感染等の感染症が、SJSやTENの原因となる薬剤アレルギーの誘導に対して促進因子として関与している可能性が高い。
なお、SJSの発症がウイルス感染に起因する可能性があるとしても、SJSで発症し、TENに移行する一連の反応が薬剤に起因する可能性は非常に高い。
(四) 本件症状の原因薬剤についての考察は、次のとおりである。
(1) SJSとTENに共通する原因薬剤は、最初のSJSの症状が出現する二日以内に投与されており、かつその薬剤又はその薬剤に交叉反応すると考えられる化学構造が類似した薬剤にすでに感作が成立して薬剤過敏症が発症していない限り、少なくとも感作に要する最小期間と考えられる四日以上前から投与されている必要がある。
(2) 原告においては、SJSが発症したと考えられる同月二日午後八時以前に投与された薬剤の中に、その時点ですでに薬剤過敏症があると判明していた薬剤はなかったと考えられるため、該当する原因薬剤は、右時点以前に投与されていて、かつその四日前の同年七月二九日夜より前から投与されている必要があり、コスモシン、強ミノC、ビタメジン、Vit・C、グルタイドと限られた薬剤しかない。
この中で、強ミノC、ビタメジン、Vit・C、グルタイドが原因となる可能性は極めて低く、同月二三日の術後から同月三一日までの九日間に連日各二回、同年八月三日に一回投与されたコスモシンが原因薬剤として最も可能性が高い。
(3) 昭和五六年から平成五年までの間の一三年間に我が国でSJSやTENと報告された一六七名と一七一名の患者を集計した統計(ただし、右統計におけるSJSとTENとの区別は報告者の診断に基づく。)においては、コスモシンが原因薬剤と思われる症例が、SJSについては三例、TENについては五例あり、重複例を含めた薬剤誘導例中、コスモシンを原因とするものが、SJSにおいては二・八パーセント、TENにおいては三・三パーセントを占める。
薬疹情報(第七版、昭和五五年ないし平成八年)においては、昭和六三年から平成八年の九年間に一三例のコスモシンによる薬疹が報告されているが、そのうちTENが一〇例、SJSが三例であり、全例がTENかSJSのどちらかとなっており、近時、特にTENの原因薬剤として頻度が高いことで知られている。
(4) また、右報告例の中には、一例のみであるが、コスモシンによる粘膜疹を伴うTEN型薬疹例が、同じセフエム系抗生剤のパンスポリンに対して貼付試験が陽性であることが報告されている。
薬疹患者や実験動物における皮膚試験の成績から、側鎖の化学構造が類似したセフェム系抗生剤の間では交叉反応が比較的高頻度に見られることが指摘されており、コスモシンとパンスポリンの側鎖R1はほとんど同じで、もう一つの側鎖R2も化学構造的に似たところがあり、右のコスモシンのTEN型薬疹例でパンスポリンの貼付試験が陽性であることは、両薬剤間の交叉反応を示唆する所見と推測される。
(5) 本件症状の発症の前日である平成三年八月一日からパンスポリンT一T(一日三回、五日分)が処方され、同月五日からパンスポリンT一T(一日三回、七日分)が処方されたことは、同薬剤がコスモシン過敏症との交叉反応により本件症状の原因薬剤となり得た可能性が高いことを示している。
(6) 別表1のとおり、同年七月三〇日及び三一日に処方されているナイキサン、ダーゼン、ノイエルについても、本件症状の原因薬剤である可能性がある。
しかし、右三種の薬剤を原因とする薬疹のうちSJSが占める割合については、ダーゼンが右三種の薬剤の中で一番高く、SJSの原因薬剤として頻度の高い薬剤に属し、右三種の中ではSJSの原因となる可能性がより高いというべきであるが、統計上、薬剤感作に要する最小期間とされる四日間以上の投薬を充たさない症例は少なく、右三種の薬剤は、コスモシンやパンスポリンTと比較すると、本件症状の原因となる可能性は低い。
なお、原告においては、ナイキサンによるDLSTは陰性であった。
(7) また、別表1のとおり本件症状発症日である同年八月二日にPL顆粒が処方されており、PL顆粒は、SJSやTENの原因薬剤となり得るが、同剤の薬疹患者において実施された同剤によるDLSTの陽性率は八〇パーセントと高いのに対し、原告の同剤によるDLSTは陰性であり、同剤が本件症状の原因となる可能性はさらに低い。
(8) ボルタレン坐薬は、TENを惹起しやすい薬剤の一つである。
しかし、原告に対しボルタレンが最初に投与されたのが平成三年八月三日午前一〇時であり、それから同月一三日まで連日一ないし四回投与され、同月一五日に一回投与され、合計二六回投与されたが、SJSが発症したと認められる同月二日以降の投与であるから、ボルタレンはSJSの原因薬剤とはなり得ないと考えられる。
(9) TENの原因薬剤については、SJSの発症からTENへの移行は、切れ目のない一連の反応として見ることができるため、この場合、SJSとTENに共通する原因薬剤を想定するのが合理的である。
ただし、原告に対しボルタレンの投与を開始した同月三日の四、五日後である同月七日、八日ころからTENへの移行が生じているので、この間にボルタレンに感作されてボルタレンアレルギー反応が生じ、それが原因薬剤と推定されるパンスポリンTの交叉反応性アレルギー反応に対して付加的作用を及ぼしたことが十分考えられる。
原告についてのボルタレンのDLSTは明らかな陽性であり、交献上もTENの薬疹患者においてボルタレンによるDLSTの陽性例があることから、少なくともDLSTを実施した時点では、ボルタレンに感作されてそのアレルギーになっていたことが示唆されるため、SJSからTENへの移行及びその進展の過程でボルタレンアレルギーが誘導され、その過程において付加的な重要な役割を果たした可能性が高い。
このように、薬疹が生じているときに、合併症を含めてその治療のために投与された薬剤にまた感作されて新たな薬剤アレルギーが加わることは稀でなく、むしろ薬疹が生じていること自体が新たな薬剤アレルギーの誘導に促進的に働く可能性がある。
(10) メチロン(スルピリン)についても、TEN、SJS、EM、固定疹のような表皮障害性の組織反応を惹起しやすい薬剤の一つと考えられている。
しかし、メチロンは、SJSが発症した平成三年八月二日以後の同月四日午前に投与されており、少なくともSJSからTENへの切れ目のない一連の反応の原因薬剤にはなり得ない。
右一連の反応の過程において、メチロンに感作されて新たにメチロンアレルギーが生じる可能性は否定できないが、メチロンの投与は、同月四日の後は同月五日午前、午後の二回の投与と同月一二日の投与の計三回のみであり、しかもEM型のメチロン疹でDLSTの陽性例があるのにもかかわらず、原告についてはメチロンのDLSTは陰性であるから、ボルタレンに比べると、メチロンアレルギーが生じた可能性は非常に低い。
2 したがって、本件症状の原因については、患者の免疫学的体質と免疫系に及ぼす交通事故や手術の効果のもとで、ウイルス感染や細菌感染等の働きが加わり、平成三年七月二三日の術後から同月三一日までの九日間に連日二回と同年八月三日に二回投与されたコスモシンにより、表皮や粘膜上皮の壊死性障害をもたらす強力な薬剤アレルギー反応が惹起され、SJSが発症し、その後同月五日から七日間投与されたパンスポリンTがこのコスモシンアレルギーとの交叉反応により同様に表皮や粘膜上皮の壊死性障害反応を促進し、右の過程のどこかで同様の組織障害反応をもたらすボルタレンアレルギーが成立して加わることにより、SJSが進行しTENとなったものというべきである。
三 抗生剤の投与について
1 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 院内感染防止マニュアル(平成三年一二月臨時増刊号)によれば、我が国では一九八〇年代になり、第二世代、第三世代セフェム系抗菌薬が大量に使用されるとともに、MRSAが高い頻度で検出されるようになり、抗菌剤の使用に際しては、予防、治療いずれの場合においても何にでも効くと過信されている第三世代セフェム系抗菌薬の乱用は慎まなければならないとされている。
(二) 治療薬マニュアル(平成六年)によれば、抗生物質(抗生剤)の使い方の指針として次の点が挙げられている。
(1) 抗生物質の投与前には必ず必要な培養を行う。
(2) グラム染色、培養によって判明した原因菌に特異的に効果のある抗生物質を投与する。
(3) ブロード・スペクトル(第二、三世代セフェム・カルバマペネム)の抗生物質を長期間使用すると菌交代症によりMRSA、カンジダ症の出現を促す。
(4) 発熱を常に感染症と判断して抗生物質の投与を開始してはならない。
(5) 抗生物質投与中に発熱が出現したら、薬剤熱を考慮する。
(6) 外科的抗生物質の予防的投与は、術中の組織濃度を高めるために、術前一時間に投与する。手術の投与時間が長期にわたる場合には、術中に再度投与する。
(7) 術後の予防的投与は不要であるが、もし投与するのであれば二四ないし四八時間で中止をする。
(三) 院内感染対策マニュアル(平成四年)によれば、抗生物質の予防的投与については、個々のケースについて病院又は担当医チームの判断に委ねられている場合が多く、抗生物質投与は、術後感染予防として有用であるが、その投与開始時期及び投与期間についてはまだ定説がなく、意見の分かれるところであるとされていた。
(四) コスモシンの用法については、平成三年当時、通常、成人にはセフゾナムナトリウムとして一日一ないし二グラム(力価)を二回に分けて静脈内に注射し、年齢、症状に応じ適宜増減するが、難治性又は重症感染症には、成人では一日量を四グラム(力価)まで増量し二ないし四回に分けて注射することとされており、ブドウ球菌属などのうち同剤感性菌による外傷・手術創等の二次感染、咽喉頭炎、急性気管支炎、扁桃炎等の感染症に対して適応があるとされていた。
(五) パンスポリンTの用法については、平成六年当時ではあるが、通常一日三〇〇ないし六〇〇ミリグラムを三回に分けて投与し、重症又は効果不十分と思われる症例に対しては一日一二〇〇ミリグラムを三回に分けて投与するものとされ、咽喉頭炎、急性気管支炎、扁桃炎、皮下膿瘍、外傷・手術創等の表在性二次感染、眼瞼炎等に適応があるとされていた。
(六) 木村医師は、平成三年八月三日の皮膚症状につき、原告が咽頭痛を訴えており、口腔内を診察したところ、扁桃がかなり腫れており、上気道炎様の症状が出ており、手掌と足底に発赤を伴う皮疹が出ており、膿痂疹様の皮疹であったため、扁桃炎と合併する皮膚症状としての掌蹠膿庖症であると考え、そのころから、扁桃炎の治療としてコスモシンの投与を行った。
(七) 前記薬疹情報によれば、平成二年までの報告例については、SJSの報告例が一例あったのみであり、平成三年分を加えても計三例であった。
(八) 同月八日ころにコスモシンによるTENが疑われたとしても、コスモシンの最後の投与は同月三日午後であり、すでに投与されていない時期であった。
2 医師の注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるというべきであるところ、前記争いのない事実等及び右によれば、コスモシン及びパンスポリンTは、術後の感染予防及び術後の経過においてみられた細菌感染の併発に伴う発熱に対して投与されたものであり、当時の原告の症状に照らして、投与回数・投与量・投与期間が不適切であったということはできない。
また、原告の症状がSJSからTENへ移行したと考えられる同月八日ころに、境医師に対し、コスモシンによるTENを疑い、パンスポリンTがコスモシンアレルギーと交叉反応する可能性を考慮し、同月一〇日以降のパンスポリンTの投与を中止させることを期待することは、当時の医療水準からみて不可能であった。
したがって、コスモシン及びパンスポリンTの投与の継続につき、木村医師及び境医師に注意義務違反があったということはできない。
四 ボルタレン坐薬の投与について
1 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) ボルタレンアレルギーやアスピリン不耐症等ボルタレンの投与禁忌を示す薬剤過敏症が原告にはないと思われた中で、当時の原告の症状であった高熱に対してボルタレン坐薬は投与された。
(二) ボルタレン坐薬の用法、用量については、ジクロフェナクナトリウムとして、通常成人については、一回二五ないし五〇ミリグラムを一日一ないし二回直腸内に挿入するが、年齢、症状に応じ低用量投与が望ましいとされ、手術後の鎮痛・消炎、他の解熱剤では効果が期待できないか、又は他の解熱剤の投与が不可能な場合の急性上気道炎の緊急解熱等に対し適応があるとされている。
(三) 前記のとおり、TENへの移行、発症が平成三年八月八日ころとしても、SJSからTENへの移行は切れ目のない一連の反応と考えられるため、同日ころにTENと診断されたとしても、その当時の医療水準では、通常ボルタレンをTENへの移行・発症の原因薬剤として考慮することは困難であった。
(四) ボルタレン坐薬の使用方法は科によって異なり、別表1及び同2のとおりの原告に対する同剤の投与量、投与期間が、一般的に大量、長期であるということはできない。
2 ボルタレン坐薬の投与は、SJSが発症した同月二日の翌日から開始されており、SJSの原因薬剤となる可能性が否定されるから、ボルタレンの継続投与が不適切であったということはできない。また、前記のとおり、SJSからTENへの移行は切れ目のない一連の反応と考えられるため、平成三年当時の医療水準に照らし、境医師に、SJS発症後に投与されたボルタレンが、TENへの移行・発症の原因薬剤であると考え、同月九日以降のボルタレンの投与を中止すべき義務があったということもできない。そして、別表1及び同2のとおりのボルタレンの投与は、必ずしも投与量、投与期間の面において不適切であったということはできない。
よって、木村医師及び境医師において原告に対するボルタレンの投与量、投与期間、投与の継続等につき注意義務違反があったということはできない。
五 併診、相談等について
1 前記争いのない事実等及び《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) SJSやTENは、皮膚科専門医においても、教科書の知識や学会報告で重篤な薬疹の代表的タイプとしてよく知られていたが、実際には経験することの少ない疾患であった。
また、皮膚科医以外の医師では、しばしば死に至ることがあるほど重篤な代表的皮膚疾患であるにもかかわらず、皮膚科専門医とは異なり、専門分野の関係で知っていたとか、経験したとか、又はたまたま興味を持っていたとか等のことがない限り、病気そのものが余り知られていない皮膚疾患であった。
(二) 原告のSJSの発症は平成三年八月二日ころであり、TENの発症は同月八日ころであるが、敗血症やウイルス血症の合併の有無は別として、SJSの診断を考慮すべき時期は同月五日ころであり、TENの診断を考慮すべき時期は同月九日ころであった。
(三) 一般論として、皮膚症状がある場合、皮膚科へ併診(相談)、転科、転院することの意義は、皮膚症状の原因、それに応じた治療方法を早期に解明し、皮膚症状に対し早期に対処することにあるから、皮膚症状が出現又は増悪しているにもかかわらず、その原因が判明しない場合には、医師は皮膚科専門医に相談(併診)すべきである。
2 右によれば、木村医師及び境医師としては、原告の本件症状に対してSJS又はTENが疑われた場合、皮膚科専門医に併診(相談)すべき必要性があり、何はともあれ、電話を含めての皮膚科専門医への相談が極めて重要であった。そして、SJS及びTENの発症の時期、SJS及びTENの診断を考慮すべき時期にかんがみれば、SJSとしては平成三年八月五日ころ、TENとしては同月九日ころには、皮膚科専門医に併診(相談)すべきであった。
同月三日から同月五日ころまでの臨床経過にかんがみれば、木村医師が、尋常でない眼症状やその他の症状の進行の具合から、まず被告病院外の出田眼科に併診(相談)し、次いで被告病院内科に併診(相談)して転科させたことは適切であったと考えられるが、同日ころに、皮膚病変がいまだ相対的に少なくかつ他科併診で流行性結膜炎や敗血症が疑われたとしても、やはり皮膚科専門医に併診(相談)すべきであった。
また、被告病院内科における臨床経過にかんがみれば、境医師の場合、被告病院整形外科からの転室に際し、皮膚病変がまだ相対的に少なくかつ他科併診で流行性結膜炎や敗血症が疑われたという判断の影響があったとしても、その後の臨床経過を考慮すると、少なくともTENの診断を考慮すべきとされる同月九日ころには、皮膚科専門医にその診断や対処に関して電話を含めて相談、併診し、その対策をとる必要があった。
3 よって、木村医師は、平成三年八月五日ころ、境医師は、同月九日ころに、それぞれ原告の本件症状につき皮膚科専門医に併診(相談)すべき義務があったにもかかわらず、右義務に違反した過失があるというべきである(なお、被告病院関係者の衛生管理義務違反を認めるに足りる証拠はない。)。
六 因果関係
1 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和四八年(オ)第五一七号昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)。
右は、医師が注意義務に従って行うべき診療行為等の措置を行わなかった不作為と患者の負った後遺障害との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の右不作為が患者に現に負っている後遺障害を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして右措置を行っていたならば患者が現に負っている後遺障害の程度よりも軽度の障害を負うに止まったであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の後遺障害との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。
2 前記争いのない事実等及び《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) SJSやTENは、しばしば致命的であり、かつまた救命し得ても時に後遺症として原告のように視力低下を残す等重篤な疾患であり、近年、その組織障害の病態や発症メカニズムについて研究の進展が見られるにもかかわらず、いまだ眼病変、肝障害、気道障害等の予後を決めている要因の解明や治療といった実用的な研究は大変遅れている。そのため、治療の基本とされるステロイド剤の大量全身投与の適応及び投与量や投与期間等の投与方法に関しても、専門家が一致する見解はまだ確立されていない。こうした現状のため、専門家の間でも、ステロイド剤の投与開始時期、投与量、投与期間等に関しては、症例ごとに疑われる基礎疾患や合併症としての感染症を考慮しながら、その治療と並行して各自の判断で治療が行われている。
(二) 原告の場合、抗生剤の全身投与が基礎疾患又は合併症として疑われていた敗血症とその進行の治療にとって非常に有益であり、ステロイド剤による改善効果の発揮に対して良い方向に働いていた可能性は大いにあるが、ステロイドのパルス療法により皮慮所見や全身状態の急速な改善を見た。
しかし、掌蹠膿疱症を疑わせる手掌、足底の膿疱や、細菌疹を疑わせるような全身性の多発性膿疱がある場合には、皮膚科専門医であっても、SJSやTENの早期診断に迷う可能性もある。すなわち、できるだけ早期の転院措置は、それだけ早期の適切な治療を可能にするが、発症早期であればあるほど適切な診断と対策を施すまでに一定の時間を要する。
(三) 後遺症を含む患者の予後を決定していると考えられる壊死性の上皮組織障害の程度は、①患者個体側の体質的要因、②壊死性障害をもたらすアレルギー反応の強度、③その標的組織の範囲(例えば、表皮組織や皮膚粘膜移行部の粘膜上皮組織以外に気道粘膜組織等どこまで障害されるか)、④基礎疾患、合併症、原因疾患として存在する感染症、⑤これらの組織障害反応や感染症に対する治療等の多くの要因によって大きく影響を受ける。
後遺症を含む患者の予後は、ほぼ同様の時期に同様の治療が行われても、症例によりかなり異なってくることがしばしばある。
3 右によれば、流行性結膜炎や敗血症が疑われた状況の中で、木村医師により、平成三年八月五日ころに皮膚科専門医に併診(相談)がなされたとしても、必ずしも即時に転院、転科がなされていたという蓋然性が高度であるとはいい難い。
しかし、右時点で木村医師が皮膚科専門医に併診(相談)することにより、本件症状における眼、口、皮膚の症状が持続、悪化する中で、薬剤アレルギーの可能性を認識し、そしてさらに、同月九日ころに境医師が同様に皮膚科専門医に併診(相談)することにより、その直後に転院、転科がなされた蓋然性は高度にあるというべきである。
そして、前記のとおり、熊大皮膚科においては、同月一六日、本件症状をTENであると考えて、同日以降、メチルプレドニゾロンのパルス療法を施行し、その二日後には浸出液は著明に減少し、さらにその一〇日後には、薬浴後九〇パーセントの皮膚が上皮化し、ステロイド剤を投与中止としたままでも経過良好な状態にまで改善した。したがって、眼、口腔内の症状がかなり悪化し、皮膚症状については全身にニコルスキー現象が認められ、さらに悪化していた状況にあった同月九日の直後に熊大皮膚科に転院がなされれば、やはり実際の経過と同様に、TENと診断され、右パルス療法が施行され、実際よりもより早期に皮膚症状等が改善された蓋然性が高く、その結果、疑われる原因薬剤のできるだけ速やかな中止と、ステロイド剤のできるだけ早期の大量全身投与がなされることにより、得遺症を含む原告の予後は軽度で済んだ蓋然性が高いというべきである。
よって、原告の本件症状による損害と、木村医師及び境医師の皮膚科専門医への併診(相談)すべき注意義務違反の行為との間には相当因果関係があるというべきである。
七 原告の損害
1 眼症状については、前記のとおり、後遺症を含む原告の予後がより軽度で済んだ蓋然性は高いというべきであるが、平成三年八月三日にはすでに眼球結膜充血・眼瞼周囲掻痒感・眼脂顕著の状態にあり、開眼困難となっており、その後も眼症状は軽減せずに持続していたものであるから、同月九日の直後に転院されたとしても、TENによる眼の後遺症が全く残存しなかった蓋然性は低く、視力低下等の後遺症は免れないと考えられる。
しかし、《証拠省略》によれば、眼に炎症、結膜充血、眼脂の持続が生じ、著しい障害が起こると、化学薬品が眼に入った場合等と同様、黒目の傷を治そうとして、白目の組織が血管を伝って黒目に伸びてきて、その結果、黒目が白く濁ってくることが認められるから、薬剤アレルギーによる炎症、充血等の持続が短ければ短いほど、眼の濁りの程度は小さく、視力低下は軽度に止まるものと解される。
なお、皮膚症状については、すでに全身にニコルスキー現象が生じており、その後も症状は悪化の一途をたどったのであるから、全身の皮膚瘢痕、足及び手の爪の軟化等の障害が完全に残存しなかったとは認め難い。
したがって、原告の本件症状に関する臨床経過、症状の程度等にかんがみれば、右のように同月九日直後に熊大皮膚科に転院がなされれば、労働能力喪失率三五パーセント程度に止まったものと認められる。
2 前記のとおり、原告の後遺障害については、右眼は、視力〇・〇八(矯正不可)、調節機能障害、視野狭窄があり、左眼は、視力〇・〇二(矯正不可)であり、全身の皮膚には瘢痕が残り、手足の爪は軟化し、行動が制限されている状態であることから、現在の労働能力喪失率は八〇パーセント程度であると認められる。
なお、《証拠省略》によれば、原告は、平成七年一一月ころから平成九年一月まで角膜移植手術により右眼の視力が回復し、健常者として半導体製造工場にオペレーターとして手取り月額約二五万円の給料で勤務し、緑内障及び白内障の手術後の同年一二月ころから視力障害者として、アイフル株式会社に勤務し、同社所有の建物の清掃をし、手取り月額約一四万円の給料を得ていることが認められるが、他方、同証拠によれば、原告の勤務先であるアイフル株式会社には、身体障害者の採用補助金が国から支給されているところ、右支給には期限があり、期限後に原告が採用されるかは未定であり、また、原告の視力は低下を続けており、再入院が必要となった場合、勤務を継続することは困難であることも認められる。
3 右によれば、具体的な損害額の算定は次のとおりである。
(一) 逸失利益
平成三年八月当時原告は二一歳であり、平成三年賃金センサスによる産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の平均年収は、五三三万六一〇〇円であるところ、1及び2(特に、本件事故により四五パーセントの労働能力喪失率増加となったことと将来的には不確定ながら現在若干の収入を得ていること)にかんがみれば、木村医師及び境医師の前記過失と相当因果関係があるのは、右年収の約四〇パーセントである二一〇万円と認めるのが相当である。そして、六七歳までの四六年間就労可能であると認められるので、右金額にライプニッツ係数一七・八八〇を乗じて平成三年八月当時の現価を求めると、三七五四万円となる(万未満切捨て)。
(二) 治療費
《証拠省略》によれば、TENによる後遺障害のために涙が出にくくなり、視力低下もあって、コンタクトレンズの着用が必要となっており、その結果、非常に角膜が乾きやすくなり、ドライアイとなり、頻繁にコンタクトレンズ用点眼薬を使用する必要が生じたことが認められる。
しかし、前記のとおり、平成三年八月九日以降同月一四日よりも前に熊大皮膚科に転院がなされたとしても、眼症状は同月二日ころから重度の症状が持続していたとみられるため、本件全証拠によるも、右のとおりに早期に転院がなされたとしても、TENによる眼症状が完全に軽快したかは疑問であり、視力低下等の後遺症は実際のものよりも軽度であれ残存すると解される。
したがって、点眼薬及びソフトコンタクトレンズの年経費は、木村医師及び境医師の前記過失と相当因果関係にある損害ということはできない。
(三) 慰謝料
原告の治療のための入院等、後遺障害の増悪内容、生活ないし稼働の不況その他本件訴訟にあらわれた一切の事情を勘案すると、原告の慰謝料として、一〇〇〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用
(一)及び(三)の合計額は四七五四万円となるところ、本件事案の性質、審理の経過、右認容額にかんがみ、木村医師及び境医師の注意義務違反と相当因果関係を有する弁護士費用として五〇〇万円を認めるのが相当である。
八 結論
以上によれば、木村医師及び境医師の使用者である被告は、民法七一五条一項本文に基づき、原告についての前記損害を賠償する義務を負うというべきであるから、原告の請求は、被告に対し五二五四万円及びこれに対する平成三年八月一四日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない(なお、原告の民法七一五条一項本文に基づく請求及び附帯請求につき、主たる請求の一部が認容され、遅延損害金の起算点についても原告の主張どおりの判断がされた場合については、選択的に併合されていた債務不履行に基づく請求及び附帯請求については、原告はその全部を取り下げる意思であったと考えられる。)。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 古賀寛 裁判官 石原寿記 秋本昌彦)
<以下省略>